Sex Pistols
*写真左 Sid Vicious 写真右 Johnny Rotten
イギリスのパンクバンド。70年代後半のロンドン・パンク・ムーヴメントを代表するバンド。
世界のポップ・ミュージック・シーンで初めて、自国の王室や政府、大手企業を名指しで攻撃したことが有名である。
小学校3年生の時、風邪をひいて学校を休んだ自分に兄がカセットテープをくれた。
そしてこの時初めてパンクというジャンルを知る。
Anarchy in the U.K.
アルバム”勝手にしやがれ”に収録されている曲。自分はこの曲に強い衝撃を受けた!
*作曲は前ベーシストのグレン・マトロックに、作詞はジョニー・ロットン。
上記写真左はマトロックの後に加入したロットンの昔なじみで、後に余りにも有名になるベーシスト、シド・ヴィシャス。
ただ相変わらず洋楽なんで言ってる事はさっぱりポンであるが、その迫力に度肝を抜かれ、何度も何度も繰り返し聞いた。
後に小学6年生の時、貯金を叩いてベースを購入する事となるのだが、自分のベースを始める切っ掛けとなったのは、このシド・ヴィシャスの影響が非常に強い。
*左 Nancy Laura Spungen 右 Sid Vicious
因みにあまり知られていないみたいだが、シド・ヴィシャスは本名ではない。
本名は、”
ジョン・サイモン・リッチー”
シド・ヴィシャスの名付け親はジョニー・ロットン。
”シド”という芸名は、ロットンが昔飼っていたハムスターの名前が由来で、昔ロットンの父親に噛みついたことから「ヴィシャス(凶暴な)」という苗字がつけ加えられた。(笑)
1979年2月2日(満21歳没)
1978年10月13日、NYにあるチェルシーホテルのバスルームで恋人のナンシーの死体が発見された。真相は明らかでないが、凶器のナイフがシドの所有物であったことから、麻薬で錯乱したシド自身が刺殺したと言われている。
しかし、ナイフは指紋が拭きとられている状態であったり、シドの元に入ったばかりの印税2万ドルが全て無くなっていた。 シドはナンシー殺害の時刻には、ツイナールの過剰摂取によるオーバードーズによる昏睡状態となっており、後に医師らにより、服用した量から類推するに5時間は昏睡状態であったといわれている。
その間に複数人の部屋への出入りも確認されており、その時にシドが昏睡している事を証言している。シドは昏睡状態から意識を取り戻すと血だらけで死んでいるナンシーを見つけ、ホテルのフロントに連絡している。一説には、ナンシーにドラッグを売っていた男が、ナンシーの死の前日には1杯の酒代をせびっていたにも関わらず、ナンシー殺害の翌日に新品のブーツとレザーパンツ姿でバーに現れ、血のついたシャツを見せびらかしていたという話や(後にこの人物はナンシー殺害をほのめかす発言やナンシーを殺害した場面をVTRに収めており、それを販売して一儲けするよな話をしていたというが真相は明らかになる前に病死している。)他にも二人が自殺を図り、昏睡したシドを死んだと思ったナンシーが自殺したという説もあるが、指紋が拭きとられて置いてあったナイフと、消えた2万ドルの謎とは結びつかない。この時期のシド&ナンシーは互いを殴り罵る激しい喧嘩を繰り返していた。またナンシーは腎臓を病んでおり、その苦痛の激しさから逃れる為にもハードドラッグにすがっていたという。
1979年2月2日、遂に麻薬の過剰摂取により死亡
シドが死に至った直接的な理由は、収監され完全にヘロインが抜けきった体に、高純度のヘロインを収監以前に打っていたのと同じ感覚で大量に摂取した事によるもの。そのヘロインは、その夜、シドに哀願された、彼の母親が渡した物。
死後、シドの革ジャンのポケットから直筆の遺書らしきメモが発見される。
『俺達は死の取り決めがあったから、一緒に死ぬ約束をしてたんだ。 こっちも約束を守らなきゃいけない。
今からいけば、まだ彼女に追いつけるかも知れない。
お願いだ。死んだらあいつの隣に埋めてくれ。
レザー・ジャケットとレザー・ジーンズとバイク・ブーツを死装束にして、さよなら。』
*シドの母親は、ナンシーの墓の隣に埋葬して欲しいという息子の遺言を果たそうとするが、ナンシーの両親に拒絶されたためにシドの墓を掘り起こし、彼の遺灰をナンシーの墓に撒いてシドの思いを果たした。
また、ロットンがインタビューにて語った「シドの母親がシドの遺灰をヒースロー空港で転んでぶちまけたから、奴の魂は空港で彷徨っている」という話は嘘との事。
色々なアーティストに影響を与えたバンドであり、ベーシストである。